2000年5月29日
プロ初のサヨナラ弾 連日の劇的勝利
ダイエー小久保裕紀内野手(28)がプロ初のサヨナラ本塁打を放ち、首位オリックスに連勝した。1点を追う9回裏1死一、二塁で左翼席に、逆転サヨナラアーチ。土壇場で飛び出した主砲の劇的9号3ランで、連日のサヨナラ勝ちを手にした。これで、首位オリックスに2・5差。昨年の覇者が、ジワリと本領を発揮し始めた。
放り投げたバットがグラウンドに落ちる前に、小久保はすでに右手を握り締めていた。痛めている右手親指つけ根をかばうためのパットを付けているため、感触はなかった。だが、スラッガーとしての本能が初のサヨナラ弾を確信させる。「(サヨナラ本塁打は)引退するまで1度は打ってみたかった。感触? ないない。大きなパットをしてるんですよ、ないですよ」。通算129本目は土壇場での劇的な逆転サヨナラ3ラン。ホームベース付近で初めて手荒い祝福を受けると、必死に輪の中から抜け出して喜びを表現した。
まさにひと振りだった。カウント1―0からのシュート回転がかかった内角直球。ひと握り余したバットでコンパクトに振り抜くと、打球はスタンドまで放物線を描いていた。「まぐれに近いですよ。でも、内角しか待っていなかった。スライダーが来たら仕方ないと思っていた」。今季、悩み続けている右手親指つけ根の痛みが、消えることはない。詰まるたびに患部には、衝撃が走る。ハリ治療を2度受け、パットも3種類用意するなど、解決策を模索し続けている。内角直球を左翼席に運ぶことが理想と語る男が「内角をどうしても意識してしまう。詰まることが怖い」と、こぼしたことさえあった。だがこの日は、恐怖心に打ち勝ち、前日に続いて今季3度目のサヨナラ劇を演出した。
王監督も勝負に出た一戦だった。吉永を4年ぶりにスタメン捕手として起用。吉田、長冨、篠原と中継ぎ陣も惜しみなく繰り出した。そして最後は、前日から打順を1つ上げ、6番に入れた小久保が打った。「(オリックスと連戦前に)4・5ゲーム差だったのがいくつになった? 2・5か。そうだよね。西武とは? 1・5? 5月は重苦しかったから少しははね返せたかな。ワッハッハ」と王監督も笑いが止まらなかった。
2000年9月25日
通算150号本塁打を達成
24日の近鉄26回戦(大阪ドーム)の10回、大塚から今季30号を放って達成。プロ野球116人目。初本塁打は、1994年(平6)7月5日、ロッテ13回戦(北九州)の2回に園川から記録している。
2000年10月8日
ダイエー2連覇達成
6回4番の仕事果たす31号決勝本塁打
声が震えた。涙は流さないと決めていた。だが、ナインの笑顔が目に飛び込むと小久保のひとみはうるんだ。「みんなの顔を見ていると……。最後の最後までこの大歓声の中で本塁打が打てて……。最高です」。こみ上げてくる感激が言葉を詰まらせた。
「4番」の仕事だった。6回裏の3打席目。「三振か本塁打か。それでいいと思った」。球種さえ覚えていない。内角低めに落ちる変化球を無我夢中ですくい上げた。その瞬間、両手を高く広げるガッツポーズ。0―0の均衡を破る、特大の140メートル弾は左翼スタンド上段に吸い込まれた。決勝の31号ソロ。「去年は貢献できなかったけど、今年は充実した気持ちで優勝を迎えることができた」。こぼれそうになる涙をこらえるように時折、顔を上げて満足感を漂わせた。
4番の重圧と戦い続け、勝った。昨年は打率2割3分4厘、24本塁打にとどまり「みんなに救われた」とまで言った。連覇、そして復活をかけて臨んだ今季も、体調は万全ではなかった。5月上旬、右手親指付け根を痛め、9試合を欠場した。「4番というのは欠場してはいけない。いなくなるとほかの選手の士気まで落としてしまう。それが4番なんです」。後半戦に入っても腰、背中に痛みが襲った。歩くときでさえ、姿勢を注意するほどだった。だがバットを置くことは4番を務めるプライドが許さなかった。
マジックが点灯し、チームが着々とV2に進み始めた先月。全体練習オフの日には亜美夫人(33)と2人の子供を連れて大分・湯布院に温泉旅行に出掛けた。リフレッシュに、治療を兼ねていた。それでも家族には「ちょっとだけ出掛けてくる」との言葉を残し、登山靴に履き替え、1人下半身のトレーニングに向かってもいた。その姿を優しく見守った家族はこの日、バックネット裏に陣取っていた。場内1周の直前、小久保は家族に向かい、左手を振ってV2を報告した。
今日8日に29歳の誕生日を迎える選手会長は、王監督、黒江助監督、秋山に続いてナインに背中を押され3度、宙に舞った。目いっぱい手を広げ、同僚に身をゆだねた。「次は巨人を倒して日本一。絶対、日本一になります」。連覇を呼び込んだ4番が、次にアーチを描くのは「ONシリーズ」での試合を決める1発だ。
2000年10月30日
左脇腹痛の小久保裕紀、日米野球を辞退
巨人との日本シリーズを終えた選手は、東京から2便に分かれ、飛行機で福岡に戻った。福岡空港ではファン約200人が待ち受け、労をねぎらう拍手も沸き起こった。
左脇腹痛で前日28日の決戦に出場できなかった小久保は「このオフに1年間戦える体をつくりたい。心身ともにリフレッシュして鍛え直してきます」と話し、故障のため選出されていた11月3日からの日米野球を辞退することになった。
激戦を終えたばかりとあって、シリーズでは2試合に登板した若田部も「やっとゆっくりできます」と、まずは安どの表情を浮かべていた。
2000年12月28日
チーム最高タイの1億8000万円でサイン
ダイエー小久保裕紀内野手(29)が27日、福岡ドーム内の球団事務所での契約交渉で今季から倍増の年俸1億8000万円で更改した。前日26日に更改した城島と並び、チーム最高年俸となった。
会見に現れた小久保の口元が自然と緩む。推定で7500万円とみられた今季年俸が9000万円だったことを明らかにした上で「倍額です。プロに入って一番のアップ。ありがたかった」と満足感をのぞかせた。
今季、打率2割8分8厘、31本塁打、105打点の成績を残したが、納得しているわけではない。「松中に(打撃3部門)全部負けたのが悔しい。来季は全試合4番に座りたい。本塁打? 40本以上ですね」と話した。すでに来季に向け、準備に取りかかっている。98年に右肩手術、今季も腰痛などケガに悩まされてきただけに、自費で専属トレーナーを雇うつもりだ。リーダーとしての自覚も十分だ。
今オフ「リーグの顔」だったオリックス・イチローが大リーグ、マリナーズに移籍したとあって、危機感を持っている。「松中、中村もいるし、40本塁打すればリーグも盛り上がるでしょう」と、この日3億円更改を果たした近鉄中村や、同僚松中とともにハイレベルなアーチ合戦でファンを魅了することを約束。チーム最高年俸を勝ち取った主砲が、V3のけん引役とともに21世紀パ・リーグの顔となることを誓った。